2011年02月28日

アメリカン・アイドルが始まった。

アメリカン・アイドルがまた始まった。
スカパーが家に来てから、
この番組が季節のかわりめを教えてくれる。
これから夏になるのかと思わされるのだ。
(実際は春で夏の頃には終わっているのだけど、
 俺は春という季節を意識したくない。)

で、夏のはじまりであるアメリカン・アイドルだが、
まだハリウッド予選が終わったばかり。
このひとは気になるなというのはひとりだけだ。
ウッドベースをひきながら、
独自のヴァージョンで
ジョージア・オン・マイ・マインドを歌った男性。
それ以外はパッとしなかった。
だが、本選に入らないと秘められた才能は光らない。
それがこの番組の面白さである。
むしろ今の段階でいいなと思わせるひとは、
それ以上の“新鮮さ”がないまま途中退場していく。

衝撃をうけるほどの才能はでてこない。
アイドルという資質を問う番組なので、
それはあたりまえといえばあたりまえである。
“才能の衝撃”も大多数が理解できる範囲以内でないと、
応援してもらえないし決勝戦まで残れない。
ブレイク・ルイスはこの番組においては斬新だった。


しかしこの番組からデビューしたひとたちは、
あくまで音楽業界内での斬新さしか表現できない。
はっきりいえば、ありがちな目新しさをやる(やらされる?)


念のため言っておくとブレイク・ルイスは良いほうだ。
他のこの番組の出身者など退屈きわまりない。

こんな辛口なことばっかり書いているのに、
なぜ俺は毎回アメリカン・アイドルを楽しみにしているのか?

それは優勝結果がでるまでに何度か、
本当にキラリと光る瞬間が観れるときがあるからだ。
それはそのひとの一瞬のきらめきで、
二度と観れないことが多い。
(YouTubeで探してもでて来ない。)
きっと誰もがもっている才能のカケラが、
コロンと世の中にでてくるのだ。
そして誰もがそのカケラを見失い、
ステージのうえから降りていく。

音楽をリスニングするにはキツイ番組ではあるが、
(この番組は大衆によってひとりの人間が
 アイドルに変えられるのを観る番組であり、
 音楽の番組ではない。)
音楽を通して挑戦者が自我を解放する瞬間が見れる。
無自覚(の場合がほとんど)だが、
芸術の本質をつかんだ人間は光る。
それはあまりに美しく残酷な瞬間だ。
音楽からの愛をうけとったのに、
その愛はあくまで個人のものである。
みんなにとっては必要のない愛だから。

“音楽”に一瞬でも、
ステージ上で強烈に愛された人々は
今現在何を思い生活しているのだろう。

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posted by ガリバー at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ガリバーのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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