2011年02月28日

アメリカン・アイドルが始まった。

アメリカン・アイドルがまた始まった。
スカパーが家に来てから、
この番組が季節のかわりめを教えてくれる。
これから夏になるのかと思わされるのだ。
(実際は春で夏の頃には終わっているのだけど、
 俺は春という季節を意識したくない。)

で、夏のはじまりであるアメリカン・アイドルだが、
まだハリウッド予選が終わったばかり。
このひとは気になるなというのはひとりだけだ。
ウッドベースをひきながら、
独自のヴァージョンで
ジョージア・オン・マイ・マインドを歌った男性。
それ以外はパッとしなかった。
だが、本選に入らないと秘められた才能は光らない。
それがこの番組の面白さである。
むしろ今の段階でいいなと思わせるひとは、
それ以上の“新鮮さ”がないまま途中退場していく。

衝撃をうけるほどの才能はでてこない。
アイドルという資質を問う番組なので、
それはあたりまえといえばあたりまえである。
“才能の衝撃”も大多数が理解できる範囲以内でないと、
応援してもらえないし決勝戦まで残れない。
ブレイク・ルイスはこの番組においては斬新だった。


しかしこの番組からデビューしたひとたちは、
あくまで音楽業界内での斬新さしか表現できない。
はっきりいえば、ありがちな目新しさをやる(やらされる?)


念のため言っておくとブレイク・ルイスは良いほうだ。
他のこの番組の出身者など退屈きわまりない。

こんな辛口なことばっかり書いているのに、
なぜ俺は毎回アメリカン・アイドルを楽しみにしているのか?

それは優勝結果がでるまでに何度か、
本当にキラリと光る瞬間が観れるときがあるからだ。
それはそのひとの一瞬のきらめきで、
二度と観れないことが多い。
(YouTubeで探してもでて来ない。)
きっと誰もがもっている才能のカケラが、
コロンと世の中にでてくるのだ。
そして誰もがそのカケラを見失い、
ステージのうえから降りていく。

音楽をリスニングするにはキツイ番組ではあるが、
(この番組は大衆によってひとりの人間が
 アイドルに変えられるのを観る番組であり、
 音楽の番組ではない。)
音楽を通して挑戦者が自我を解放する瞬間が見れる。
無自覚(の場合がほとんど)だが、
芸術の本質をつかんだ人間は光る。
それはあまりに美しく残酷な瞬間だ。
音楽からの愛をうけとったのに、
その愛はあくまで個人のものである。
みんなにとっては必要のない愛だから。

“音楽”に一瞬でも、
ステージ上で強烈に愛された人々は
今現在何を思い生活しているのだろう。

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2011年02月27日

「ブラック・マシン・ミュージック」

ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ
ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ
エレキングづいている俺は、
野田努氏の本を読んでいる。
月並みな言いかただが、
これは読み出したらとまらない。

まだ途中なのだが、
(テクノ、ハウス、ヒップホップを含む)
現在、自分が楽しんでいるクラブミュージックが、
どういった歴史をもって
存在しているのかが描かれている。
ドラマチックに。

世界の経済状況、政治、人種問題などが、
ひとりの人間に音楽を生みださせる流れは、
ひとことで説明出来るものではない。
だからこの本があると言える。
あるジャンルの音が誕生する瞬間の、
偶然とも必然ともいえない感じが見事に描写されている。
デトロイトテクノ誕生前夜、
黒人の暴動が起きるシーンなど、
不謹慎かもしれないが興奮をおさえられない。

この本を読んでいて感じたことがある。
自分がもし何か(音楽でも小説でも、
映画、演劇、なんでもいいけど)始めようとするとき、
それは世界の歴史とつながっているということだ。
行動を起こす人間は世界と無関係ではいられない。
言い方がむずかしい。
単純に周囲から影響をうけ影響を与えるということではなく、
歴史に手を加えてしまうということだ。
それほど緻密なパーツでこの世はなりたっている。
シカゴのプレス工場のラリーシャーマンは、
儲けようとしただけかもしれない。
ラリーはミュージシャンでもないから、
音楽をつくったわけでもない。
だけど彼がハウスをひろめたともいえる。
俺がハウスを今楽しんでいるのは、
ラリーのおかげなのだ。
これは本を読んでくれないとわかってもらえないかも。

手塚治虫の火の鳥である。
火の鳥(1) (手塚治虫漫画全集 (201))
音楽は火の鳥のように、
みんなの頭上ではばたいているのだ。

話しは少し変わるが、
芸術は歴史の流れのなかに
くさびをうってこそ価値がでる。
これは抽象的な意味だけでなく、
金銭的なことでも。
この本にそのようなことが書かれていて、
Rと(Rに貸したのだ)、
なるほどねえと話したことがある。
サザビーズ  「豊かさ」を「幸せ」に変えるアートな仕事術
サザビーズ 「豊かさ」を「幸せ」に変えるアートな仕事術
「ブラック・マシン・ミュージック」は
音楽の歴史のなかのくさびをとりあげた本だ。
だが、そのくさびは誰がいったい打ったのか?
1本なのか、
いや、大きいのが1本に小さいのが5、6本?
そんな感じだ。
どんな感じだ! と思ったひとには、
ぜひおすすめですよ。

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2011年02月26日

エレクトロは発売当時に。

6枚買ったうちの4枚目だ。
これが一番欲しかった。
THE SHELL
THE SHELL
ディスクユニオンでは売り切れだった。
タワーレコードで見つける。

YouTubeで観て聴いていた印象と、
アルバムで改めて聴いた印象が
あまり違わないのが意外だった。
JAMES BLAKEはネットではイマイチで、
アルバムで聴いて、
はじめてその音の深みにはまった。
このアルバムはネットでもいいし、
アルバムで聴いてもいい感じだ。

良い意味の軽さがあり、
フットワークのいい音が気持ちいい。
ヌケの良さが音楽の自由度をあげている。
QNはそのうちギターロックアルバムも、
作ったりしそうな気がするが、
それはないか。
similabのアルバムも楽しみだ。

5枚目はこれ。
花と雨
花と雨
家でのリピート率は今のところ、
これが一番高い。
Rもいいねと言った。
ほんと良くて、
バックトラックだけでもじっとしていられない。
そのうえSEEDAのラップも、
なんというか、何度聴いても味わいがある。
この何度も楽しめる感じは俺にとって、
ガスヴァンサントの映画のようだ。
内容が似ているとかそういうことではなくて、
あくまで俺にとって楽しめる感覚が近いのだ。
マイ・プライベート・アイダホ [DVD] ドラッグストア・カウボーイ [DVD]

SEEDAのアルバムは、
テクニカルでグルーヴがあって、
しみったれた意味ではなく、
スピリチュアルだ。

で、最後の1枚目はこれです。
ブラック・ゴースツ
Rが発売当時俺に薦めていた。
何年前かは忘れたけど…。

俺はまだ聴いていない。
Rが先に聴いて、こう言った。
「ガリバー、エレクトロは発売されたそのときに
 聴かないとだめだよ。これは悪いアルバムじゃないけど、
 でたときに聴かないと意味がないよ」

つまりエレクトロはどのアーティストも、
時代の進化とともにつみ重ねてきたものを、
披露している側面を楽しむものでもあるから、
アーティストが作品を発表したときに聴いてこそ、
その良さ、すごさがわかる。
俺が、はあーそうですかと呆然としていると、
「でもガリバーは今聴くのがちょうどいいかもよ」
などと言われ、ムカッときた。
なぜムカッときたのだろう。

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2011年02月25日

ディスコ・ニュー・ジェネレーション

James Blake
James Blake
6枚買ったうちの1枚目。
音の奥行が素晴らしく気持ちよくて、
試聴のあと迷わず購入した。
メロディもいいし。
RはこれはJAZZアルバムだと言っていたが、
俺もそう思う。

Fabric55 - Shackleton: Mixed By Shackleton
Fabric55 - Shackleton: Mixed By Shackleton
プリミティヴなリズムが鳴りつづけ、
かと言って退屈な説教臭い音ではなく、
やたら展開が変わるので飽きない。
せっかちなアーティストだと思う。
Rのイチ押し!
(買うのは俺なんだけど。)

話しはかわるが、
先日、これまで録りつづけていた
俺の作った曲をRに聴かせた。
これはディスコだと指摘をうける。
言われてみるとそうだ。
そういうつもりで作っていなかったけど、
メロディの感じもリズムも、
ブレイクのはいり方もディスコで、
自分の性(サガ)を知った気がしたのだ。

タワーレコードで
Rが、Discoコーナーがあると教えてくれた。
のぞきにいくとディスコも現代的な
新しい音が色々ある。
あたりまえなんだけど、
俺のDiscoのイメージは70年代でとまっていたので、
静かにおどろく。(なぜかRに気づかれないように。)
曲作りの参考に1枚購入することにした。

WOLFRAM + 1
WOLFRAM + 1
俺はこのボーカルの入り方にグッときた。
飽きそうだなとは思ったが、
創作意欲を刺激されるのでこれにした。

アメリカンダンスアイドルでも、
観ていて燃えるのはやはりディスコだし。


ChaChaもDiscoに通じる良さがある。
俺はクサイくらいにダイレクトな表現が好きだ。
細かい技術の正確な構築がないとダイレクトにはならない。
ディティールのキメがあってこそエモーショナル!


Rはもっとリズムメインな感じのアルバムを
すすめてくれていたな。これだ。
Bedroom Tricks
ディスコは注目していなかったけど、
掘ると楽しそうだなと思う。
(金があれば。)

以上はすべて新宿のタワーレコードで購入した。
エレキングコーナーが設置してあり、
なんのアルバムかは忘れたが特典で
ele-kingバッヂをもらう。
嬉しかった。

あと3枚買ったのだが、また後日。

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2011年02月24日

新宿にて

新宿にてCDを6枚購入した。
どれもめちゃくちゃ楽しみだ。
俺は燃えている。音楽熱で‼
なにを買ったかはまた後ほど。(((o(*゚▽゚*)o)))
新宿にて

RのiPhoneにて送信。

ただいま電車乗ってます。
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2011年02月23日

自分にとっての名曲はなに?



MTVでハードロックTOP100をやっていた。
キンクス、クリーム、イギーポップまで流れて、
“ハードロック”とワンジャンルに特定したネーミングだが、
これではすべてのロックTOP100だなと思う。
すべてのロックはハードロックということか。

もちろん80年代のヘビーメタル系は盛りだくさんで、
知らない曲がほとんだった。
そんななかクワイエット・ライオットの
“カモン・フィール・ザ・ノイズ”が鳴り響く。
俺は料理を作っていたのだが、
思わず手をとめてバンドの演奏に見入った。
「自分にとっての名曲とは?」
そう問いかけると、その時により違うのだが、
何曲かのうちの1曲として必ずこの曲は入る。
いつ聴いても胸の奥から
ザワザワした高揚感がたちあがってくるのだ。

スレイドの原曲も、オアシスのカバーも、
俺にとってはピンとこない。
これはやはりクワイエット・ライオットじゃないと。
やぶからぼうな感じというか、
タイヤもエンジンも壊れても転がり進んでいく感じで、
ごちゃごちゃ考えないで突っ走っていこうぜ!
そういう気分にさせてくれる。
それでいてアイロニーも感じさせるところが憎い。
わかっているけどむちゃくちゃやりたい。
それで俺は幸せかどうかもわからないけど。
これがロックなんじゃないかなあと思う。

番組では色んなミュージシャンが
流れている曲について語るのだが、
この曲のときに、あるミュージシャンが言った。
「このナンバーで“ヘビーメタルもいいな”ってひとが増えた。
 メタルバンドの道を切り開いた」
ヘビーメタルでもあり、
ポップソングでもあった、
何者でもないこの曲は、
何者でもない俺の心をわしづかみにしたのだ。

バンド自身はこの曲を録音するのが嫌だったらしい。
するとプロデューサーに指示を受けた。
「めちゃくちゃに演奏しろ」
結果、原曲ともちがうオアシスにも再現不可能な、
この疾走感あるナンバーが生まれたのだ。

めちゃくちゃに演奏しても、
本当に下手なバンドであれば疾走しなかっただろう。
これは技術と訓練のうえにある壊れっぷりだ。
それがまた感動的だ。
ポップを目指してポップをやるのと、
そんなもの目もくれていないのに
ポップになってしまったのとは説得力がちがう。
今となっては、
バンドもこの曲で観客とつながるのを楽しんでいる。
つまり自我のないナンバーなのだ。
作為的じゃないところに感動は生まれる。

この番組で知ったのだが、
ボーカルのケヴィン・ダブロウは
2007年11月にコカインの過剰摂取で亡くなっていた。
バンドの演奏も曲もいいけど、
やはりこのボーカルあってこその名曲だなと思う。


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2011年02月22日

ECD「MASTER」を聴く

ECD/MASTER (CCCD)

ECD/MASTER (CCCD)

ECDがどういった存在なのか、
何も知らずにアルバムを聴いた。
「なんかすごい」
この凄みはなんだろうかと考える。
古いのか新しいのか、
叙情的なのか乾いているのか、
構築されているのかジャム的なのか、
ただひとつ感じたのは、
シリアスな音だなということ。

他のラップを聴いていて、
ちょっと種類のちがうシリアスさがある。
音が暗いとかライムが重いとか
そういうわけではない。
むしろ最近聴き始めた数少ないJラップの中では、
一番アヴァンギャルドなものを感じた。

で、なんだろうと考えても、
答えがでないままリピート再生をする。

“SUMMER MADNESS”を聴き、
少し目頭を熱くしながら、
なぜ俺は90年代にヒップホップを
スルーしていたのかと悔やむ。
その時代に俺はペイヴメントなどの
ローファイロックに夢中だった。
現在になってヒップホップの方が
刺激的だなんて思っても遅い。
だけど今だからそう思えるんだよなと、
Rに何度か言った。
Rもそうだよと答えた。

後半の“君は薔薇より美しい”に困惑し、
“S.S.S 対セントラル・セッション”の
『南の島 宇宙 スラム街』を聴きながら、
半トリップしている自分に気づいた。
ドラッギーなトリップではない。
どちらかといえば
現実的な問題をなしに過ごす
日常の方が俗にいうトリップ(バッド・トリップ)だ。
この曲でのトリップ感は覚醒に近い。
南の島と宇宙と郊外にいる自分を
はっきりと認識するというような。
そういうライムではないんだろうけど。

調べるとECDは日本のヒップホップの
黎明期か現在まで途切れる事のない活動を
つづけるラッパーだった。
俺が感じた凄みはこれなのか。
調子のいいクリエイティブな音ではなく、
作らなけれ生きていけない音。
単純な意見のだが(しみじみ思ったのだ)、
ヒップホップって生きざまが出るんだなと思った。

日本のヒップホップって80年後半から始まったとして、
まだ30年くらいなのに、メチャクチャ深いな。
先の見えない洞窟のようだ。

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2011年02月21日

小室哲哉「罪と音楽」を読んだ。

TK BEST SELECTION IN EPIC DAYS(DVD付) 罪と音楽

小室哲哉「罪と音楽」を読み終えた。
なにげなく読み始めたら、
やめれなくて一気に読んだ。
いろんなミュージシャンの自伝や、
バイオグラフィを読んだが、
「罪と音楽」はこれまでにないものだった。

自分が起こした事件のこと、
つくり出す音楽のこと、
正直に丁寧に語られているのだろう。
だが、つかみどころがないのだ。
俺にとって現実味がないというのか。
悪い意味で言っているのではない。
小室哲哉は間違いなく存在している。
本を読むかぎり純粋でシンプルな存在だ。
それは空気のようで、
見上げる空のよう。

Rは「ここが印象的だった」、
「ここの表現は小室氏独特のものだ」などと、
俺に語ってくるが覚えていない。
俺は小室哲哉の音楽が、
あまりに自分と関係がなかったゆえに、
理解をシャットアウトしているのか。
でも、本は面白かったし、
Rも小室哲哉の音楽を聴いていたわけではない。

Rが推測するに小室氏はひとりっこではないかと。
ひとりっこ的な感性で描かれている部分が、
いくつかあるようだ。
だから俺には理解できないのかも。
ちなみにRはひとりっこである。
やはり俺にはわからない感性を持っており、
なぜそんなことを言うのか、
そんな感想を持つのかというときがある。
説明をうけて「ああ、なるほど」となるのだ。

俺に言わせると品があるというのか。
ひとりっこ全員に品があるとは言わないが、
Rも小室哲哉にも似たような浮世離れ感がある。
いくらダーティーなことをしても汚れない感じだ。

自分のことで言えば、
俺には姉妹がおり、父も母もみな下品だ。
べつに下ネタを連発するような家族ではない。
むしろいやらしいことを日々考えているのに、
黙っているという下品さ。
保守的で犯罪などは起こさないが、
心は汚れているとも言える。

Rや小室哲哉に対して、
興味を持つのは
自分と真逆の人間で新鮮だから。
あとは憧れなのか。
自分の好きなことをやっているひととして。
自分の好きなことしかやらないがゆえに、
大変な目にあっているひととも言える。
でも、そこがシンプルで純粋に見えるのだろう。
俺とちがって。

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2011年02月20日

SEEDAと小室哲哉

罪と音楽



小室哲哉「罪と音楽」を読んだあと、
SEEDAのラップを聴く。
この組み合わせになってしまったのは、
偶然でしかない。
だが考えさせられる。
両者の間には遠く隔てているものと、
同じものがあると思った。

遠いものは存在のありかた。
存在を色で示すと、
小室哲哉はパステルカラーだ。
大衆という額の中に描かれる水彩画である。
SEEDAは原色だ。
大衆にぶちまかれる現代アートである。
どちらが良い悪いという話しではない。

音楽という絵筆を使うのは同じだ。
SEEDAの方が個人的な表現をするぶん、
現代的な音を鳴らしていると思う。
小室哲哉の、
自分の魂をのぞきこんで、
そこに大衆が見えるという構造も、
ある時代には現代的だった。

世代のちがいもあるだろうし、
景気や社会背景のちがいもある。
だけどふたりは音楽という同じ公園にいた。
小室哲哉はシーソーやブランコがなかったから、
それらを用意して、緑を植えて、
みんなで遊ぼうと言った。
SEEDAはそんなものなくても、
いきなりこちらの手を握りしめ、
ゲームをスタートさせる。
なんのゲームかわからないままに。

ふたりをつなげて考えるのは無理があったかも。
だけど、目の前に小室哲哉の本があり、
SEEDAの音楽があった。
ふたりの存在が俺の頭のなかで並んだときに、
何かグワッとたちあがるものがあった。
それはなんだと考えると、
音楽にたずさわる人間の、
音楽への愛ってやつだと思う。
誰もが持っているはずなのだが、
それを掲げるのには勇気がいる。
形はちがうが、
勇気という部分でも共通するものを感じた。

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2011年02月19日

ハスラーラップについて



ゼロ年代の音楽---壊れた十年

「ゼロ年代の音楽 壊れた十年」を読んでいたら、
磯辺涼氏がこれから日本語ラップを聴くならば、
ハスラーラップを聴くといいと書いてあるのを見つけた。
J HIPHOPの迷路のまえで、
まさに俺が探していたアドバイスだ。
磯部氏どうもありがとうございます!

さっそくSEEDAをネットでチェックしたら、
久しぶりにズドンと来た。
心にガツンと来たのだ。
これはCDを買ってじっくり聴きたい。
何がそんなに心を動かされたのか?
まだ数曲しか聴いていないので細かく言えない。
いろいろ日本語ラップを試聴していて、
求めているものがないと思ったものがあった。
そのことはまたアルバムを聴きこんで書きたい。

俺はいたって平和な日常を過ごしてきた。
むしろハスラーはRである。
Rは路上で金を稼ぎ、
色んなひと(細かく書かないがまさに色んなひと)との
コミュニケーションの中で自分を形成してきた。
路上を離れた今でも警察を見るとビクッとしているし。
念のために言っておくとドラッグとは関係ない。
(だがRは自分の中での正当な目的の為ならば、
 どんな商売もプロフェッショナルにやり遂げるだろう。)
つまりRが聴くべき音楽なような気もするが、
意外と本人はミニマル・テクノ的なものが好きだ。

Rの短歌集「OVER DRIVE」も、
ハスラーラップと通じるところがあるような気が。
OVER DRIVE (詩歌句双書)

話しはもどるが、
とてもエッヂーとは呼べない生活を送る俺が、
なにゆえこの音楽に惹かれるのか。
次はそれを書こうと思う。
(これ自分に言っている。)

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2011年02月18日

ピエール瀧について

電気グルーヴのメロン牧場―花嫁は死神

Rのi phone熱はとどまるとこを知らず、
1日中小さな板をながめつづけている。
さまざまな音楽アプリを見つけてきては
試しているようだ。

DJをしてみせてくれたが、
これがなかなかおもしろかった。
ブレイクビーツ、
ダブ・ステップなど、
リズムを変えながら、
(ワンフレーズの)ヴォーカルをはさみつつ、
効果音も鳴らす。
聴きごたえがあった。
1時間くらいのDJであればいけるだろう。

「R、それで(i phoneで)DJしろよ」
Rにすすめて、では俺は何をしようかなと思った。
歌が特別うまいわけではないし、
ダンスだって出来るわけじゃないし、
時々ライムをのせるくらい。
そう考えると、ピエール瀧ってすごいよなと思う。
ピエール瀧という存在だけで、
2時間、3時間のステージをもたせるのである。
そこまでの人間ってなかなかいない。
“自分が自分である”という説得力、
それをエンターテイメントとして成立させる。
どんなアーティストでもなかなか
実現が難しいパフォーマンスを、
飄々とやってのけるのである。

ピエール瀧は自分の行っている活動で
どんな評価や見返りを求めているのだろう。
もちろんギャラだろうが、
パフォーマーとしての理解のされ方や、
“遊んでいるひと”としてのリスペクトや、
つまり自分のやっていることに対しての、
周りからの評価を気にしたりしているのだろうか。
そんなこと気にしていないのだろうな。
周りがどう思うかなどの
レベルを越えたところにいかないと、
あのピエール瀧のステージングは無理だろう。
自分に対しての圧倒的な肯定だ。
それは世界すべてに対しての肯定でもある。
だからみんな瀧を観ているだけで盛りあがるのだ。
嬉しくなって。

ピエール瀧の存在は
究極のポジティヴィティであり、
これからの時代を生きる人間に
もっとも必要とされる精神の在り方を体現している。

自由というのはカテゴライズを拒む。
何者かになろうとしている限り、
不自由なのである。
言葉でいうのは簡単だけど、
ピエール瀧の領域にまでいくのには、
それ相応の肝っ玉のすわり方が必要である。
まず、こんなウナウナと、
ブログで語っている俺はダメだ。
でも、それも否定してはいけない。
それが俺だから。

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2011年02月17日

Rがi phoneを買った。

Moment
(atomic tomというバンドで電車内で
 I phoneで演奏している映像が面白い)

Rがi phoneを買った。
で、ひたすら何をしているかというと、
音楽のアプリを鳴らしつづけている。
その姿はDJというよりも、
ゲームに夢中の小学生のようだ。

俺もいじらせてもらったが、
これはたしかにはまる。
もう携帯電話というよりも、
楽器である。
コンピュターである。
今さら何言ってんだと思うかもしれないが、
俺は(驚かれ、あきれられるが)携帯を持っていない。
今までも、
これからも必要ないと思っていたが、
Rのi phoneを観て欲しくなった。

Rがテクノ系のアプリを読みこんで、
演奏しているのに俺のライムをのせたりして、
この携帯電話1台でライヴ環境が生まれる。
すごい進化だ。
お前いつの時代の人間だと思われるかもしれない。
だけど、音のクリア具合や、
ディレイやその他のエフェクトのかかりよう、
なにより簡単な操作性を試すと、
音楽は万人のもので、
問われるのは直感的な創作性だ! 
と、思い興奮しているのだった。

Rがi phoneに話しかけて、
それが文字化しているのにも驚愕した。
これで頭の中の歌詞やライムを即文字化し、
保存しておくことも可能だろう。
Rはそれでメールを送ろうとして、
すべて消去してしまったが。
(手で打ち直していた。)

こうなってくると、
音楽はコンピュターにしろ、
楽器にしろ、訓練された技術よりも、
そのセンス、フレッシュさを問われる。

もちろん訓練された技術の素晴らしさも、
俺は大好きだ。
例えばリトル・バーリーのシンプルであり、
深みのあるロックは人間くささがある。
ジャズとかラテンとか、
クラッシックにしても、
コンピュターでは再現不可能な領域があると思う。
でも今の俺にとって、
i phoneで演奏しているRの姿は、
とても風通しのよいものだ。
未来への窓があいている。
(「腱鞘炎が痛い!」
とか言いいだしそうな勢いでもあり心配だが。)

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ラベル:i phone
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2011年02月16日

人生の放課後

Kind of Blue スタンディング・イン・ザ・ウェイ・オブ・コントロール

スカパーの大人のミュジックエアで
マイルス・デイヴィスの
モントリオールコンサートをやっていた。
MTVにチャンネルを回すと、
ゴシップのライブである。
両方とも同じテンションの高さで、
ミュージシャンも観客も気持ち良さそうだった。

ライブやクラブの気持ち良さというのは、
アドレナリンが脳を覚醒させるからかな。
(意味不明なことを言ってる?)
だからその時に気づいたことって、
人生の本質をついているのかもしれない。
無我の境地で気づくことっていうか。

俺はジョシュ・ウィンクか、
リッチー・ホウティンのどちらかで、
踊りつづけているとき、
軽い瞑想状態に入ったことがある。
その瞬間、思った。
『もう学校に行くのはやめよう』
学校なんてとっくに行ってないのに。

あれはなんだったんだろう。
仕事のことか。
それとも受動的な生き方をやめて、
能動的にならなくてはだめだということか。
学校…。
深く考えなかったことだが、
こうして覚えているということは、
自分の中で気になっていたのだ。

たしかに俺はずっと
学校に行っている気分かもしれない。
音楽を聴いていても、
Rみいたにシンプルに感覚的に聴くのではなく、
なにかをつねに考えている。
音楽の歴史とか、
聴いているミュージシャンの生きざまとか、
音の構造など。
学ぶ姿勢は大切だけど、
なぜ学んでいるのか?
最終的には自分から発するところに
行き着かなければ意味がないのかもしれない。

俺はバンドをやっていたけれど、
観客を興奮させたことなんて一度もなかった。
映画も作ったことがあるけど、
観客全員あまりの退屈さに激怒した。
俺の人生の課題って、
エンターテイメントなんじゃないか?

アークティック・モンキーズの1枚目とか、
similabのHIPHOPとか、
十代でふっきれの良い作品を作ったひとたちのことを
最近よく考える。
若くしてプロフェッショナル。
エッヂのある作品こそがエンターテイメントだと思う。

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2011年02月15日

ジャスティン・ビーバーが好きだ。

マイ・ワールズ~デラックス・エディション

ジャスティン・ビーバーが日本に来る。
観たいかと言われれば、
べつに観たくはない。
だが、ジャスティン・ビーバーは好きだ。
声に音楽に対する真摯な姿勢を感じる。
雑念がないというのか。
本当はジャスティンはとても冷めたところで、
雑念だらけで音楽をやっているのかもしれない。
だが俺にはジャスティンの本音など
どうでもいい。

アイドルは存在のシンプルさが素晴らしいと思う。
アイドルの体は水を入れたコップだ。
ゴミの浮いた汚れた水など飲みたくない。
それは透明でなければならないのだ。

透明に見えるということが大切で、
それは感情的でなければならない。
むっつり黙って気どっている人間は、
俺にとってはペンキを塗りたくった壁だ。
沸点を超え、
熱さが冷気に変わるような、
そんなエモーショナルな存在を観たい。

ジャスティンはそこまではいっていないが、
彼が世界を憎んでいたらいいなと思う。
ファンのことなど大嫌いなのに、
あの歌をうたっていたらグッとくる。
それは人間の二面性が面白いとかいう
ありがちなことを言いたいのではない。
究極の(シンプルな)愛を観たいのだ。
わかりづらい表現になってしまうが、
音楽のひとに対する愛である。



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2011年02月14日

新しい朝





古いものを捨てることについてRと話していた。
(これはRが読んだエッセイなんだけど)
70才の女性がこれまでの、
自分の身の回りにあったものを処分する話だ。
それは再び新しいことを始めるということで、
膨大なエネルギーを必要とするということ。
生きていればいるほど蓄積してきたものが
自分を作っているという事実があるから。
だから古いものを捨てるというのは、
“破壊”と“創造”という、
人類がくり返す伝統的な行為なのだ。

70才の女性はものを捨てることによって、
現世の終わりを視野に入れると同時に、
新たなエネルギー、
生きるモチベーションを手にいれているのかも。

俺の最近のHIPHOP熱も同じだ。
これまで自分が聴いてきたロックを聴くときには
感じなくなった新鮮な刺激を感じる。
俺なんて90年代が青春みたいなものだから、
そのときにHIPHOPに夢中であれば、
リアルタイムでその進化を楽しめただろうに。
でも、今だから興味が持てるのだ。
俺は歴史のあるものの方が好きだから。

とにかく知らないがゆえのHIPHOPは
俺のなかの何かを燃やす。
自分が生きているこの世界が新鮮に見える。
自分の古いものをなくすという行為は、
汚れた水が透明になっていく感じ。
街に建物がなくなって、
風が走り抜けて行く爽快感とも言える。

新しい朝がきた。
希望の朝だ。
このフレーズって子供の頃聴いた、
ラジオ体操の曲だよな。

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2011年02月13日

暗闇でふざけてる「JAMES BLAKE」



「イギリスではJAMES BLAKEっていうDJが
 大フィーバーしているよ!」とRが教えてくれた。
俺はすでにエレキングに教えてもらっていたので、それほど驚きはしなかったが、
“大フィーバー”と言われるとなんでかなあと考える。
誰もが夢中になる音だろうか?
いや別にこれは批判ではない。
でもRもすぐに音をチェックして、
もっと聴きたいと言っていた。
きっとアルバムを買うだろう(俺が)。

JAMES BLAKEは
俺のなかで暗闇のポップシリーズにつながる。
ポーティスヘッド、


トリッキー、


BlackBoxRecorderの流れである。


暗闇と言っても暗い音だというわけではなくて、
お日様の下で聴いてもピンとこない音シリーズだ。
でも日が落ちたら人生の深いバックトラックになってくれる。
あくまで俺にとって。

で、先にあげたアーティスト達は暗闇のポップ。
つまり暗闇のなかでふざけている。
これはキケンだし、
カンが良くないと自由にふざけれない。
マジメなポップもあるけれど、
言うなればそれは商業ポップだ。
マジメすぎれば面白くなるが往々にして退屈な音である。

イギリス人のミュージシャンは
カンの良さそうなひとが多い気がする。
どちらかというとカンの良くない俺は、
たまにアメリカのゴツゴツした音を聴いてホッとする。


Rはカンがいいので、
俺のこの気持ちはわからないだろうな。
つまりこれって、
コンプレックスなのか?

James Blake

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2011年02月12日

アレンジは魂の解放

Rは「英語でアクティング」という教室に通っている。
演技の教室なのだが、
授業はすべて英語で行われる。
英語の勉強と同時に演技の勉強をするわけだ。
この教室の先生は有名な日本人俳優の
ハリウッド進出においてコーチングする方なのだ。
Rは英語を何年も勉強しつづけており、
その流れでこの教室にも行くことにしたみたいだが、
今や演技に夢中である。

Rが英語で書かれたスクリプトを俺に見せた。
この芝居の練習相手をしろというのだ。
どれどれと、そのスクリプトをチェックしてみた。
シュールなコメディのようだ。
最初はスタンダードに
Rとセリフのやりとりをしてシーンを終える。
いくら練習とはいえ、
俺も実は映画に関しては一悶着ある男だ。
このスクリプトのシュチュエーションも、
充分に面白いのだが、
もっと工夫出来るのではないかと考えた。
そして思いついた俺のアイディアを試すと、
なかなか面白いシーンになったと思う。
Rも喜んでくれた。
演技というのは自己演出であり、
その演出しだいでシーンの意味が決まるのだなと気づく。
Rが夢中になるのが少しわかる。
刺激的だ。

この感じはカバーだなと思った。
カバー・ソングのカバーである。
俺はゾンビースが好きで、
ゾンビーズの曲を彼ら(バンド自身)以上に
メロディックに切なく、
グルーヴィーに表現することは無理だろうと思っていた。
このアルバムを聴くまでは。
World of the Zombies: Tribute to Zombies
ファストバックスの
「Just Out Of Reach」には衝撃を受けた。
ゾンビーズのグルーヴィー具合はないが、
疾走感がいい感じだ。

ビートルズのモータウンナンバー
「You've Really Got A Hold On Me」も、
俺は本家よりも

(↑これはコステロ色が強い)
ビートルズのフレッシュなアレンジの方が好きだったりする。


ビートルズで言えば、
「I Wanna Be Your Man」のローリングストーンズ版は、
俺個人的にはなんとも言えないところがある。
まあこれはカバーというよりストーンズが曲をもらったので、
ビートルズ自己再現版なのだろうが、
本家ビートルズ版のほうが俺は好きだ。

その他にも好きなカバーはある。
イギーの「シー・オブ・ラブ」、
CAKEの「アイ・ウィル・サヴァイブ」、


そうだレナードコーエンのこのトリュビュートもいい。
I'm Your Fan

なにが言いたいかと言うと、
カバーソングは演出である。
他人の曲をスクリプトとして
いかに自分ならではの世界観を作るかだ。
ただ単にいじくりまわすだけでは、
面白いものにならない。
たまにあるだろう、
原曲に失礼だというくらいの退屈なカバー。
自分の世界観もなく、
原曲のメロディの良さもない。
これは演出能力のなさだ。

自己演出とはエゴをなくさなければ
いいものが出来ないのではないだろうか。
他人が自分をどう観るかではなく、
目の前の作品にどういった魂を込めれるか。
悲しみ、怒り、喜び、
作品にあった感情を選択肢し、
とことん解放させるのだ。
そうすることにより
魂のこもった作品(曲)に触れたひとたちも
感情が解放される。
それが出来るのがアーティスト、
もしくはエンターティナーなんだろう。

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2011年02月11日

俺の女々しさと音楽

詩人と女たち (河出文庫)



俺は女々しい。
女に対して優しくないし、寛容ではない。
口ゲンカになれば相手の言うことを
かき消すかのようにわめいたりする。
あとどういうところが女々しいかと記すと、
とても長くなるだろう。
このことを細かく具体的に書かないくらい
女々しさには自信がある。

男らしくなりたくないのかと問われると、
「そうかもな」と答えてしまうくらい
女々しい俺である。
だがこれまでの俺のアイドルを振り返ると、
みんな男らしい。
例えばトム・ウエイツ。
イギー・ポップ。
キャプテン・ビーフハート。
ミュージシャンだけではない。
チャールズ・ブコウスキー。
ジム・トンプスン。
ウィリアム・バロウズ。

バロウズを男らしいととらえるかどうか、
疑問に思ったが、やはり男らしいだろう。
自分の生き方に一本筋が通っているからだ。
“女は神の失敗作”とまで言ったひとではあるが、
女性に対し紳士な姿勢でいたと思う。たぶん。
女性に対してうんぬんよりも、
社会常識にしばられずに、
自分のアイディンティティが確立されていたところが、
格好良いのである。

男らしさというのは、
俺みたいに自分が調子の良いときだけ、
女性にやさしくするようなムラのある態度ではなく、
普段無愛想でも本当に女性が救いを求めているときに
やさしくあるものだ。
それは自分というものが確立していないと出来ない。
揺らぎない男として、自分はこうだ! 
というのがないと。
金を持っている持っていない、
地位のあるなしに関係なく、
男として自分はこうであるという
なにがあっても曲げない心意気が、
男らしさなのだろう。

俺のアイドルであるミュージシャン達も
作る音楽のフォルムは変わったとしても、
音楽からにじみでるそのひとらしさは強烈だ。
強烈であろうとしているのではなく、
自分にとってのアートを追求した結果そうなった。

俺は何が言いたいのかというと、
男らしくない俺ではあるが、
実は男らしさに憧れているということだ。
そして俺は女々しいという事実を考えるに、
これまでなにも追求してこなかったということか。

イギー・ポップのこれまでのキャリアを見ると、
「辛抱強さ」というのがある。
俺に欠けているのもこれかもな。



俺のアイドルで生き残っているのは、
トム・ウエイツとイギー・ポップのみ。
この2人はジム・ジャームッシュの映画、
コーヒー&シガレッツで共演している。
この作品を俺はまだ観ていない。

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2011年02月10日

ビートルズ&HIP HOP

THE SHELL



高校時代に夜を徹してビートルズを聴いた。
全アルバムを初めて聴いたのだ。
とてもファンタスティックな体験で、
音楽にあれほど夢中になったことはない。
あの夜はラジカセの前に座って、
テープの回る部分だけを何時間も見つめていた。
つまりビートルズの音だけを見つめていたのだ。

現在は音楽を聴いていても何かを考えている。
日常の気になる、もろもろのこと。
頭の中では解決しないことを考えつづけている。
音楽はBGMとなり、
時に考えごとの邪魔となり、
しまいにOFFのスイッチを押す。

なぜあの夜のビートルズのことを思いだしたかと言うと、
海外ドラマ、「フリンジ」を観ていたからだ。
ドラマの内容は、荒唐無稽で、
プロデューサーのJJエイブラハムズの色満載で、
“エイリアス”と“ロスト”を足した感じである。
それほど素晴らしいともいえない作品なのだが、
俺は夢中になっていた。
たぶん現実に直視したくないものからの逃避だったのか。
高校時代のあの夜も同じような感じだった。

俺にとってのビートルズは現実逃避だったわけだ。
実際今ビートルズ狂かというとそうでもない。
あの高校時代の体験により自分はビートルズを
愛していると思いこんでいるが、
アルバムは集めても聴くことはない。

では現在の俺にとっての
現実逃避ではない音楽とはなんなのか?
J HIPHOPである。
余計な考えごとをしながら聴けない音楽だ。
あまりにも自分が知らないジャンルだからか、
初めて音楽に接したときのような喜びを感じている。
通勤途中はロック系の曲にあわせて、
ライムの練習をしているが、
その難しさにラッパー達への尊敬の念が深まる。
これも現実逃避なのかもしれないと自分を疑うが、
HIPHOPは現実に切り込むほどにエッヂのたつ音楽だ。
聴き込んでしまうライムには、
かならず現在の自分のありかたを考えさせる何かがある。
ラッパー達のリアルな日常をライムされたら、
自分のリアルを見つめないわけにはいかないからだ。

おすすめあれば教えてください。もしよろしければ押してください→banner_02.gif


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2011年02月09日

音楽は誰のものか。「奇跡のシンフォニー」

奇跡のシンフォニー [DVD]
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この映画には音楽の天才少年がでてくる。
この天才少年が音楽を作る過程が興味深い。
たぶん音楽を作ることに喜びを感じる人間であれば、
ああ、もしかして俺も天才なのかと感じるかもしれない。
曲を作る人間の内側には曲がある。
それが他人のものからの借りものだろうが、
オリジナル以外の何者でもないものでも同じこと。
耳をすませばどこかからやってくる音楽、
それに対しての返答として曲をつくるのだ。
ひとは曲をつくるときには誰しも天才と言える。
自分が天才と言えば天才なのだ。

だが本物の天才と自称天才を分けるのは
そこからなのだ。
“音楽の使命”をまっとうできるかどうか。

作るだけで満足しているひともいるかもしれない。
おっかなびっくり身内に聴かせているだけの、
勇気のないひともいるだろう。
でも、それは作り手の事情であり、
音楽の事情ではない。
音楽は生まれたときから、
みんなのものとへ届くという
使命を帯びた芸術なのだ。

この少年ははじめて触る楽器からも、
美しい旋律を導きだす。
その旋律はオーケストラに発展し、
多くの聴き手のものとへと流れていく。
少年にとってはそれこそが重要なのである。
この映画を観て、
天才少年が自分の才能をつかって、
自分の目的を果たす映画だと
とらえる人もいるかもしれない。
そうとらえるとこの映画は小さくなる。
この作品の素晴らしさは、
音楽が人と人とを結びつけることを描いていることだ。

俺もそうだけど、
音楽に救われたことがある人間ならば、
この作品に涙するはずだ。
使われている曲に好き嫌いはあるかもしれない。
ちょっとばかしストーリーのご都合主義に、
そりゃないだろうと思うかもしれない。
だけどそんなことは問題じゃない。

俺の個人的経験で言うならば
音楽は自分をはげまし、
自分の殻に閉じこもるところを、
表にひきづりだしてくれた。
音楽を通し色んなひとに出会った。
結果はどうあれ出会えて良かった。

音楽に救われたひとがたくさんいることを知って、
それは(俺は無宗教だが)、
誰の頭上にも平等にひろがる
空からの光に似ていると思った。
この感覚を言葉にするのは難しい。
ただ言えるのは、
この映画を観終わって、
俺は音楽という存在に
初めて感謝の気持ちをもったのだ。
はっきりと。

August Rush

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